城下町スポット
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昔の面影を残す米子の城下町を散策
ゆっくり2時間コース
城下町の名残たち。昔はどんなふうに使われていたのかな?
1.藪根橋跡
外堀にかかる7つの橋(京橋、中ノ棚橋、天神橋、藪根橋、横町橋、福厳院橋、牧野橋)のひとつでした。
2.鉄砲小路
米子城の鉄砲足軽が住む五十人鉄砲町がこの小路の外堀を渡ったあたりにあったためついた小路名です。
3.覚証院小路、咲い地蔵
松龍寺覚証院がここにあったためついた小路名です。時を知らせる太鼓がありました。
4.旧加茂川
この辺りは約200mの間に75もの小橋がかけられており、日本で一番多いとも言われています。
5.坂口邸裏通り
坂口家は、江戸時代木綿仲買業を営み、家業を発展させました。昭和天皇は昭和22年(1947)巡幸の際、坂口邸に宿泊されました。
6.新小路通り
寺町から尾高町にかけてはゆるく傾斜しています。これは古砂丘列のトップに寺町が形成されたからです。
7.寺町通り
福厳院、瑞仙寺、安国寺、妙善寺、妙興寺、実成寺、法蔵寺、心光寺、万福寺の9つの寺が並んでいます。城下町の防衛のために配したと言われています。
8.妙興寺
中村一忠の家老横田内膳は米子城下町の整備を行いましたが、慶長8年(1603)11月に暗殺されました。妙興寺には横田内膳の墓と遺品あります。
9.立町通り
米子城から北に伸びるこの通りには、多くの商家が立ち並び、弓ヶ浜方面への浜街道に通じていました。灘町と共に、江戸時代以前からの米子の町です。
10.京橋
京橋は米子城外堀にかかる最も古い橋で、橋の南側の袂は、藩からの色々なおふれを掲げる制札場にもなっていました。
11.後藤家住宅
後藤家は江戸時代の廻船問屋で、大型船を何隻も所有する豪商でした。主屋は正徳4年(1714)の建築と伝えられ、重要文化財です。
12.判屋船越家
船越家は江戸時代初期から船の出入りを管理する判屋を務め、寛永期(1624~44年)には船方の総支配をしていました。
13.鹿島家
西伯耆一の豪商だった鹿島家にある、米子城の鯱瓦は嘉永5年(1852)頃に四重櫓の改修を、藩命により肩代わりした功労で下賜されたものです。
14.中ノ棚曲り
米子城下町は江戸時代以前からの町を取り込みながら、新たに整備されました。その新旧の町の境目が、形の曲がり角でわかります。
15.岩倉町、長田茶舗
倉吉から移住してきた方々で形成されました。長田茶舗は、明治元年の建築で、典型的な町家つくりです。
16.天神橋
旧天神橋は今の天神橋の下流に架っていましたが、昭和4年に今の場所にかけられました。付近には土蔵群が並んでいます。
17.尾高町、坂口合名ビル
坂口合名ビルは坂口家の中核会社の建物として昭和6年(1931)に建てられました。
18.西倉吉町、加茂川橋
尾高町から西倉吉町にかかる加茂川橋は、水管橋で市指定文化財になっています。
米子市立山陰歴史館
四重櫓の鯱や米子城天守の模型など、米子城にまつわる歴史資料をはじめ、民俗資料など米子の歴史を物語る様々な資料を展示しています。公式サイトへ ⇒